はじめに

ここに足を止めてくださったあなたへ。心からの感謝を込めて、私の歩みをお話しさせてください。今の私は、誰かの痛みにそっと絆創膏を貼る「保健室」のような存在でありたいと願っています。けれど、そう思えるようになるまで、私の心は長い間真っ黒な箱に閉じ込められ、すべての色を失っていました。これは、理不尽や激しい痛みの中を生き抜き、世界の色を取り戻していった私の物語です。

いびつな檻と「空気読みスキル」

私は半世紀ほど前、高度経済成長期の日本に生まれました。最も古い記憶は、大工の父の都合で過ごした飯場での風景です。冷淡な父と悲しみから家族写真を破る母。幼い私は母に寄り添いたくて真似をして写真を破りました。

この頃から私の防衛本能は過剰に働き始め、張り詰めた家庭で生き延びるために「完璧に相手の顔色を窺う」高度な技術を身につけざるを得ませんでした。家には歪んだ精神構造を持つ祖母がおり、理不尽な虐待によって私の右手の甲には今も消えない火傷の跡が残っています。父はギャンブルに溺れて失踪を繰り返す人でした。やがて埼玉の借家へ引っ越したことで生まれて初めて居場所を手に入れ、緑に囲まれた穏やかな6年間という人生最初の絶頂期を過ごしました。

絶頂期の終焉と「言葉のリンチ」

しかしその平和は、祖母の元へ戻りたがった父の都合で終わりを告げます。小学6年生での青森への帰郷。標準語しか話せず、地域の暗黙のルールを知らずにスカートで登校した私は、学校や教師から「排除すべき異物」とみなされました。

「標準語でカッコつけている」と言われ、意見を言えば叩かれ、黙れば叱責される。正解のない「言葉のリンチ」が毎日続きました。中学では陰湿な無視へと変わり、私は漫画や文章執筆などの創作世界へ逃げ込むことで心を繋ぎ止めました。

唯一の味方だった祖父が他界し、混乱から試みた家出も連れ戻され、祖母からの暴力と冤罪に晒されました。そしてサマーキャンプの夜、いじめグループと同じ部屋になり性的いじめの標的とされた友人を見捨ててしまった罪悪感は、一生消えない深い傷として心に刻まれました。

社会での崩壊と自己破産

高校卒業後、最初に勤めた支店は温かい人々に恵まれ、過去の傷に蓋をして前を向けていると信じていました。しかし大型支店への転勤で歯車が狂います。担当したのは公的機関の助成金業務。ミスが許されず、怒号や物が飛んでくる過酷な環境と見て見ぬふりをする上司たちの中で、私の心身は崩壊しました。

重度の不眠と嘔吐、ストレスによる過度な買い物と借金のループの果てに自己破産へと追い込まれ、病院のロビーで失神した私に下された診断は「抑うつ状態」でした。休職を経て退職し、実家へ戻ったものの、変わり果てた私の姿に母は絶望しました。その後始めたアルバイト先でも人間関係の歪みに疲れ果て、職場を去ることになります。

パンドラの箱と、世界に色が戻った奇跡

自立を目指して弘前市で借りたアパートは、さらなるトラウマの扉でした。下の階に住む高圧的な老人から、掃除機の音や体調不良で吐く声にまで激しい怒声とチャイムの連打を浴びせられる日々。我が家でも息を潜めて暮らす極限状態の中、「ただ静かに眠りたい」一心で心療内科を受診し、精神科を紹介されました。

その精神科医との出会いが人生を劇的に変えます。医師は私が溜め込んできた胸の奥の言葉を、一つひとつ否定せずに優しく受け止めてくれました。

その瞬間、私の世界に津波のように「色」が戻ってきました。狭い真っ黒な小部屋には最初からドアがあり、自分の手で外へ歩き出していいのだと知ったのです。空の青さや木々の緑を感じ、世界には優しく温かい場所もあるのだと実感できるようになりました。

一緒に日向ぼっこをしませんか?

壮絶な経験を経て確信しているのは、理不尽な環境からは「全力で逃げていい」ということです。逃げることは自分を守るための最も勇敢な選択です。

かつての私のように真っ黒な箱の中で息を潜めているあなたへ。私の目指す「保健室」で、痛みを吐き出してみませんか? 消毒をして絆創膏を貼り、何でもない話をしましょう。裏庭の扉を開けてぽかぽかと温かい光を浴びながら、一緒に日向ぼっこをしませんか? あなたの心が鮮やかな色を取り戻す日まで、私はここで待っています。